年賀状はわたしの分身

さよならをしてあげた男だとか最初から相手にしなかったような男がわたしにコンタクトすることのできる貴重な手段のひとつが笑ってしまいそうなことに年賀状だ。

どうせ拒絶されるのが分かっているから、わたしに電話やメールをしてくる勇気がなくなってしまった男でも、年賀状だけはわたしに受け取ってもらえると思って、けっこう工夫して書いてきているのが面白い。この前、年賀状を整理していてこう思った。


わたしに対しての恋愛感情を捨てきれない男の書いてくる年賀状は宛先から文面まで手書きなのが普通だ。みんなに一律に出しているのではなく、わたしにだけ、特別な思いを込めて年賀状を書いているとでもいいたげなのよね。わたしのことを頭に思い浮かべながら、それなりに工夫して書いているのがわかる。


一応、形式的な年始の挨拶のあと、ほとんどの男が、近いうちにふたりだけで会いたいというようなことを書き添えている。普通は社交辞令で書くような内容も、男たちが本心でわたしとふたりだけで会いたいのだということが言葉のはしばしから漏れている。


普通なら興味のない男がいくら連絡してきても、それに応じることはないのだけれど、年賀状の場合はエチケットとして返事を出すことにしている。わたしの書いた年賀状を受け取って、わたしのことが欲しくて苦しがっている男たちはどのように感じるのだろうか。


わたしの手が触れたはがきをまるでわたしのからだの分身であるかのように妄想してしまう哀れな男って、実際にいるみたいね。