水着写真を撮りたい男

例えば海に行ったときに、わたしが水着を着て立っていると、カメラでわたしを隠し撮りしようとする男たちが後を絶たない。男たちはわたしが気づかないとでも思っているのかもしれないけれど、意外とわかるものだ。景色を撮るふりをしてわたしのからだに狙いを定めている。


わたしはどうしても男たちの視線を集めてしまうので、仕方がない面もあるけど、気持ちのよいものではない。こそこそ撮影しなくても、頭を下げて頼んでくれば、写真の2,3枚くらいは撮らせてあげてもいいのにと思う。もっとも、写真を撮らせてあげた後、男たちがわたしの写真を見ながらオナニーをしようとしていることはわかっているけど、別に、わたしに危害が加えられるわけでもないので、どうでもいい。


でも、許せないのは、わたしの胸や腰、太ももだけをクローズアップで撮ろうとする男。特に下半身を大写しで撮ろうとする男は気持ち悪い。決して触ることのできないだろうわたしの水着で隠された部分を想像しながら、シャッターを切っているのでしょうね。


面白いので、濡れた両手で梳かしながら、カメラに向かってにっこりと微笑みかけてあげた。そうすると、わたしを隠し撮りしていたその男はビクンと驚いていた。何となくしゃくだったので、わたしの取り巻きの男に命じてその変態男を取り押さえさせた。その男のカメラをチェックさせると、やっぱりわたしの画像だらけだった。男にとっては、わたしの写真って、なんとしてでも自分のもとにおいておきたいものなのでしょうね。

ふくらはぎ

女性のからだの一部分に異常に興奮する男ってなんだかおかしい。いわゆるフェチって男たちなんだけど、ある男はわたしのふくらはぎに欲情している。わたしの後ろ姿を見るとたまらない気持ちになるのだそうだ。スカートの下からみえるわたしのふくらはぎを後ろからながめるだけで、奇妙な感覚になるのだという。


わたしの脚は男の心を引きつけるということは自覚している。多くの男って、適度に肉がついている細くて長い脚が好きなようだ。わたしの脚は男にとって理想なのだろう。

学校の先生という生き物

先生と呼ばれる人たちもしょせん男に過ぎないから、クラスに魅力的な女子学生がいれば、どうしても気になって仕方がなくなる。色々と思い出すことがある。自分の教え子に魅了されてしまった男の先生って、ある意味、普通の男が誰かを好きになって悩む以上に精神的につらいみたいね。


中学生のころから、大抵の男の教師はわたしのことを生徒としてではなく、一人の女として意識せずにはいられなかった。色々な生徒に公平にふるまっているように見えても、どうしてもわたしにばかり視線を向けてくる。そして、なんとかしてわたしとの接触回数を増やそうとする。水泳で水着を着たときなんか、同級生の男の子はあたりまえだけど、教師もわたしの水着姿をみて変な妄想をしていたのでしょうね。でも、中学のときは、そういう男の子たちの欲望もかわいいもので、いつもさらっとかわしてあげていた。今思うと、わたしのことを考えながらオナニーしていた男の子なんて学校中にたくさんいたのでしょうね。


高校生になると、本当にわたしにのめりこんでしまった教師がいた。完全に女としてしかわたしを見ていない。もし、あまり気の好かない教師だったら、一度ぐらい誘惑して夢を見させてあげたあとに破滅させてあげてもいいのだけれど、そうはしなかった。そんなに好かない教師ではなかったから。でも好きなわけでもなかったので、わたしのなすがままに行動させてあげた。


教師だったら生徒に色々と指示できる立場にあるのが普通だけど、完全に立場が逆転したのが面白かった。その先生はわたしのいうことを従順に何でも聞く。もちろん、わたしのからだが欲しいから。同じ学校の教え子で未成年者と関係を持てばどういうことになるかは分かっているはずなので、すごく悩んでるみたいだった。


結局、わたしはその先生にはからだを自由にさせてはあげなかった。でも彼にとってもそのほうがよかったと思っている。恋愛は対等でないと面白くない。その頃は男を意のままに操ったり、破滅させたりすることなんて面白いと思わなかったし、快感など感じることもなかった。自分の持つ男たちに対する支配力にまだ気づいていなかったということもあるわね。


今から見れば、わたしってなんてまじめな学生生活を送っていたんだろうと感心してしまう。

年賀状はわたしの分身

さよならをしてあげた男だとか最初から相手にしなかったような男がわたしにコンタクトすることのできる貴重な手段のひとつが笑ってしまいそうなことに年賀状だ。

どうせ拒絶されるのが分かっているから、わたしに電話やメールをしてくる勇気がなくなってしまった男でも、年賀状だけはわたしに受け取ってもらえると思って、けっこう工夫して書いてきているのが面白い。この前、年賀状を整理していてこう思った。


わたしに対しての恋愛感情を捨てきれない男の書いてくる年賀状は宛先から文面まで手書きなのが普通だ。みんなに一律に出しているのではなく、わたしにだけ、特別な思いを込めて年賀状を書いているとでもいいたげなのよね。わたしのことを頭に思い浮かべながら、それなりに工夫して書いているのがわかる。


一応、形式的な年始の挨拶のあと、ほとんどの男が、近いうちにふたりだけで会いたいというようなことを書き添えている。普通は社交辞令で書くような内容も、男たちが本心でわたしとふたりだけで会いたいのだということが言葉のはしばしから漏れている。


普通なら興味のない男がいくら連絡してきても、それに応じることはないのだけれど、年賀状の場合はエチケットとして返事を出すことにしている。わたしの書いた年賀状を受け取って、わたしのことが欲しくて苦しがっている男たちはどのように感じるのだろうか。


わたしの手が触れたはがきをまるでわたしのからだの分身であるかのように妄想してしまう哀れな男って、実際にいるみたいね。

わたしの部屋の残り香

少し前にあるマンションから今の場所に引っ越しをした。
この前知ったのだけれど、わたしが以前住んでいた部屋に新しく入居したのはわたしに一方的に恋愛感情を抱いている男だった。


ちゃんと断ってあげたのだけれど、どうしてもわたしのことが頭から離れないらしい。何かにつけてわたしと接触したがる。わたしがその男を無視し続けていると、精神状態が少しおかしくなってしまったみたいね。どんなことでもいいからわたしのことを知りたがったり、わたしのことをいつも見ていたいと思っていることがわかる。


あげくの果てに、わたしが住んでいたマンションの同じ部屋を借りるということまでしてきた。わたしが以前、そこにいたということを感じながら、その男は快感を得ているみたい。わたしの使っていた部屋、わたしの使っていたバスルーム。わたしの使っていた寝室。その男はわたしがそこにでもいるかのような幻想を描いて悦に入ってるのでしょう。なんだか気持ち悪い。そういう男の気持ちってわたしにはわからない。その部屋にはわたしの残り香なんてもうないのに。

知ってしまったばっかりに

わたしのことを知ってしまったばっかりに、つらい気持ちを味わっている男ってけっこうな数になるみたいね。わたしのことを知らないまま過ごしていれば、心が乱されることもなかったはず。でも、わたしのことを知ってしまってから、わたしのことばかり考えるようになり、わたしの心を何とかして引き付けようとばかり考えるようになってしまう。そして、わたしは決して思い通りにはならないから、つらいのでしょうね。


いっそのこと、わたしと出会わなければ、こんなつらい思いはしなくて済んだと思うかもしれない。でも、わたしを知ってしまった以上、多くの男はわたしのことを抱きたくて仕方がなくなるものらしい。心の底からのめり込んでしまった女性のからだに触れることのできないつらさ。わたしにはわからないけど。男の愛情って、性欲と切り離せないものなのでしょうね。

わたしが結婚することになったら

わたしが結婚することになったら、いったい何人の男が泣くことになるのだろうと、ふと思った。


いくら振ってあげても、いつかはわたしが振り向いてくれるという奇跡を信じている男たちもいるけど、彼らはどう思うのだろうか。
わたしのことを吹っ切れるかもしれないし、どうしてもあきらめきれなくなってしまい、わたしが離婚するのを待ち望むような男もいるのでしょうね。


どっちにしても、そういうときが来たら男の整理整頓が大事なのでしょう。